フィルムで写真を撮ってみませんか。

「フィルムを使う写真に興味を持つ人を一人でも増やす」ことが目標の一個人の活動

カメラの話(コラム第三回-11)カメラと、私。(忘れられない鮮烈な記憶)

 さて。

 

 多くの機材を手放すと、防湿庫に余裕ができてきました。また、一時的に、通帳の金額も多くなると、ムズムズと、なにか、カメラやレンズか買いたくなってきました。

 中望遠レンズのうち、Ai-sニッコール105mmF1.8と同135mmF2は大きく重いことから稼働率が低く、同105mmF2.5もスリムな割に重いことからどうにも扱いづらくあまり使っていませんでしたので、手放しておりました。結果、残っていた中望遠ニッコールレンズは同135mmF2.8のみでした。これは、手放しても大した値にならなかったからです。そこで、真っ先に購入したいと思ったのは、中望遠レンズでした。

 ニコンの中望遠レンズは、オートフォーカスレンズはいずれもDC機能を有する、DC105mmF2と135mmF2です。ボケをコントロールできる、ということが売りの、1990年代に発売された名レンズ、との名高いレンズです。このレンズにはある思い出がありました。

 大学生の時。あぶく銭を手に入れ、比較すると安価だったDC105mmF2を購入しようと考えておりました。しかし、「前ボケまたは後ボケのいずれかを綺麗にできる」という触れ込みを素直に受け取ることができない私は、「前ボケを綺麗にしたときには後ボケはどうなるのか。まだその逆はどうなるのか」ということがどうにもわからなかったので、ニコンのサービスセンターにこの質問をぶつけました。

 女性オペレーターの回答は明瞭なものでした。

 「前ボケを綺麗にしたときの後ボケは二線ボケとなり、ウルサイボケ味となる。その逆の設定もまた然り。」

 なんと、素直で謙虚なお答えだったのでしょう。ただ、この時は、そんなレンズなど買えるかと思い、中判カメラを買い揃えていきました。

 

 それから、7、8年経っていたこの時。なんと、この二本のレンズを、中古でとはいえ、大人買い!さらには、昔憧れだったミノルタα9(フィルムカメラ)とSTF135mmF2.8T4.5も購入。なんとバブリーな。あんな時代はもう来ないと思っております。

 結果的には、ミノルタα9は昔の憧れほどの感動はなく、ニコンF4のほうがずっと扱いやすく、感触もよいと感じ、フィルム2,3本と通しただけで手放してしまい、ただ、STFレンズは超絶感動的だったのでカメラはないのにレンズだけを長年所有し、数年前に業者さんに無理をお願いして、ニコンFマウントに換装してもらい、今でもニコンF4にソニーSTFを装着して楽しんでおります。

 

 結局、興味を持ってしまったレンズは一度は手にしてしまうようですね。

 

 最終的には、このDCニッコールレンズをオートフォーカスで使いたいとの思いから、EOS5DMark2やキヤノン一式を手放し、ニコンD750に乗り換えることとなりました。

カメラの話(コラム第三回-10)カメラと、私。(たくさんの、さようなら)

 さて。

 

 EOS5DMark2を購入後、パソコンも更新し、写真の見方が変わりました。それまでは、特別気に入ったものだけをワイド4ツ切(A4サイズと同じ大きさ)に引き伸ばしておりましたが、デジタル写真だと、そのままモニターに投影できるため、すべての写真を引き伸ばした大きさで見るようになったわけです。

 さらに、等倍サイズで見ると、ピントのチェックはもちろん、端の端までの些細な色のずれや画像の流れが気になるようになりました。また、それまでの唯一のデジタルカメラであったペンタックスistDは、DAlimitedレンズも一通りそろえて、小型軽量さを楽しんでおりましたが、EOS5DMark2に比べると解像度が段違いに劣るため、全く使わなくなりました。

 ここから、私は大量の機材の放出を始めてしまいました。

 

 M42レンズはアダプターでEOS5DMark2で使用可能であったためほとんどを手元に残しましたが、Kマウントレンズはごく少数を除いて、手放しました。手元に残したのは、A50mmF1.2、FA100mmF2.8マクロ位でしょうか。

 ミノルタマニュアルフォーカスレンズも、最終形態のNMDレンズだけを残し、MC Rokkorレンズはほとんど手放しました。

 ニッコールレンズも、重複する焦点距離のレンズはほとんどを手放してしまいました。

 

 最終的には、1/3ほどの機材を手放してしまい、今となっては後悔している機材もかなり多くありますが、防湿庫に余裕ができ、ある意味、良かったとも思っております。

 

 しかし、防湿庫に余裕ができると・・・・

 

 結局、また機材を購入し、隙間を埋めてしまうものなのです。

カメラの話(コラム第三回-9)カメラと、私。(EOSがもたらした陰)

 さて。

 EOS5DMark2の入手から、ほとんどの写真撮影はデジタル写真へとシフトしました。それと同時に、パソコンを更新し、シルキーピクスというRAW現像ソフトを導入しました。このソフトは、もともと、ペンタックスistDのRAW現像ソフトとして付いてきていて、非常に使いやすく、また、すでに慣れていたので、EOS5DMark2でも使用できるようにと、導入しました。

 

 撮影後、パソコンと向かい合う時間が長くなりました。しかし、2110万画素のRAWモードはデータ量が多い上に、ランニングコストがかからないと思うと、乱暴に連写をしたり、適当に撮ったりするもので撮影枚数が多くなり、当時、私としては張り込んで購入した4GBのコンパクトフラッシュカードはあっという間にいっぱいになりました。それを移し替えるパソコンのハードディスクも、瞬く間に使用済み領域のほうが多くなっていきました。

 

 フィルムの頃とはけた違いに多い撮影枚数。しかし、大量の写真があっても、プリントしてみようかなと思えるものはほとんどない、ということに気が付きました。要するに、撮影が適当だったのでしょう。また、撮った後に、RAWだとある程度露出もなんとかなるさぁ、という甘えもありました。135フィルムのように36枚、あるいは中判カメラ(6×6)のように12枚しか撮れない、という緊張感がないのです。

 

 この大量の写真、というより、データで、心に残るものはほとんどない。かといって、今までのフィルムで撮影するように、丁寧に撮影することもできない。また、この大量のデータを整理し続ける能力(キャパシティ)もない。さらには、私が撮りたい写真というものは、どうやら、高画質の写真である、というわけでもない。

 

 確かに、間違いなく、デジタルカメラは、フィルムカメラよりも便利です。しかし、その便利さに甘えて、ちゃんと、写真に向き合うだけのキャパシティが、私にはないということにだんだんと気が付いてきました。

カメラの話(コラム第三回-8)カメラと、私。(EOSがもたらしたもの)

 さて。

 EOS5DMark2がやってきてから、私の写真を撮りに行く道具が大きく変わりました。

 まず、三脚を使わなくなりました。ISO6400で撮影しても、その画質は十分に満足が行くものであったため、また、手振れ補正レンズを初めて入手し、相乗効果で手振れの心配が減ったためです。

 次に、単体露出計を使わなくなりました。その場で高解像度のモニターと照度グラフにより、白飛び、黒つぶれが確認できるためです。

 さらに、高性能のパソコンが必要になりました。istDの610万画素から2110万画素にアップし、ただ、モニター上で見るだけでも、Windows XPの、2002年に購入したノート型パソコンでは対応しきれなくなったためです。

 

 初めて手にした、キヤノンオートフォーカスカメラは軽快でした。ただ、ファインダーがやたらと明るく、ピントがよくわからないものの、ほとんどの場合はオートフォーカスで満足のいく精度でピントを合わせてくれていました。

 ただ、EOSを選んだ理由は、純正レンズの使用のみではなく、オリンパスOMマウント、ニコンFマウント、M42マウントをアダプターで使用できることでもありました。EOSに1960年代のタクマーレンズを取り付けて、悦に浸っておりました。

 

 しかし。

 

 まぁ、使用説明書に基づかない使用方法なので、不満を言えることでもありませんが、露出が、極端にオーバーになったり、アンダーになったり。結局、単体露出計を持ち歩くようになり、その撮影スタイルは露出計がないカメラを使用するときと同様の、レトロな方法になりました。

 そして、ピントが合わない。ファインダー内では合っている(ように見える)はずなのに、ピンボケになってしまいます。これは、モニターがでっかいから、ということもあるのですが、ファインダースクリーンの特性でしょう。ファインダーを暗い、大口径レンズ用のものに代えて、随分マシになりました。

 さらに。やっぱり、古いレンズでは2110万画素には耐えられないようで、ハイライトの縁にはパープルリングは出るし、周辺部はピントが合っているのだが合っていないのだかよくわからない描写で、だんだんと古いレンズに不満が募ってきました。

 

 EOSが私にもたらした最大のものは、「デジタル写真は高解像度こそ命である。」という、それまでにはなかった感覚でした。

カメラの話(コラム第三回-7)カメラと、私。(フィルムを要らないと感じた時)

 さて。

 私にとって、初めてのデジタル一眼レフカメラを入手したのは、2007年のことでした。購入したカメラは、ペンタックス製*istDでした。

*ist D|デジタル一眼レフカメラ | RICOH IMAGING

選定、購入に至ったポイントは以下のことからでした。

・発売当時、最小最軽量のAPS-Cサイズ素子を搭載する一眼レフカメラ

ペンタプリズム搭載でファインダーが大きく明るいこと

・前後電子ダイヤルでマニュアル露出がしやすいこと

・単三乾電池が使用できること

・すでに新機種が発売されており、標準ズームレンズとセットで10万円以下であったこと。

・兄の結婚式が間近であり、大量撮影することが見込まれたこと。

 

 このカメラは、610万画素でしたが、普段、A4サイズまでしか引き伸ばさない私にとって、十分な画質でした。 しかし、暗所での高感度撮影は、ISO800を境に急激にノイズが目立ち、まだまだカラーネガフィルムのほうが高画質でした。

 結局、購入動機の一つである「兄の結婚式」には、カラーネガフィルム(ISO400、800、1600)を、ニコンF4に詰めて撮影することとなりました。F4二台を両肩から下げると、気分はプロではあるものの、翌日は筋肉痛で全く動けないことになりました。

film-camera-challenge.hatenablog.com

 

 労働時間が長かったので、その場で結果が見れることやフィルムを現像に出し、また取りに行くという手間が省けること、ランニングコストは魅力出来ではありました。しかし、*istDでは、画質や臨場感では中判カメラに、高感度ではカラーネガフィルムに、彩度ではリバーサルフィルムに対してそれぞれまだ追いつけていない状況であったので、まだまだフィルムカメラを退役させるという気持ちにはなれませんでした。

 

 風向きが変わったのは、2009年11月30日でした。この日は、キヤノンEOS5DMark2の発売日の、翌日でした。

cweb.canon.jp

 この日、何気なくカメラ店に行ったところ、「在庫、1台のみ!」「これを逃すと、年内の納品はお約束できません!」なる、EOS5DMark2が。

 フルサイズデジタル一眼レフカメラとして、一般に手が届くお値段で初めて出してくれた、EOS5Dの2代目後継機種。欲しくないはずがありません。しかし、キヤノンオートフォーカスシリーズは購入したことがなく、レンズやアクセサリーを一からそろえる必要があります。となると、それなりの金額になります。

 店員さんに事情を聴くと、「予約者が、お金のめどがつかず、キャンセルになってしまったもの」ということで、製品の問題ではありません。そして、これを逃すといつ入荷となるかわからないこと、アダプターでニコンレンズが使えますよという、甘いささやき。

 店内をぐるりと3周ほど歩き、EOS5DMark2と、24-105F4L、シグマ50mmF1.4(初代)を、消費税込み42万円でお買い上げとなりました。これだけの金額のものをキャッシュで購入したのは初めてだったので、手が震えました。当時の給料2か月分でした。

 このカメラは、本当に素晴らしかったです。ISO3200でも、A4サイズであれば全く違和感がなく、強力なレンズ内手振れ補正のおかげでいつでもどこでも手持ちで撮れる、というくらいな安心感がありました。このカメラは、2016年まで我が家のデジタルカメラのトップ機種として、海に山に家族写真にと大活躍してくれました。

 ハンドリングの良さ、画質、高感度での撮影、彩度、いずれもフィルムカメラを凌駕するものでした。実際、EOS5DMark2を購入してから、フィルムカメラを使うことは、ほとんどなくなりました。

カメラの話(コラム第三回-6)カメラと、私。(高画質への憧れ)

 さて。

 前回であった「彼」は、中判カメラも所有しておりました。確か、出会った当時に使っていたのは、ペンタコンシックスという、東ドイツ製の6×6判一眼レフカメラと、広角レンズ、標準レンズ、望遠レンズのセットでした。

 初めて、6×6サイズのスライドフィルムを見たとき、「カールツアイスレンズ」というネームバリューは別としても、その澄んでいてかつ重みのある青空、突き抜けた紅葉の赤色、銀杏の黄色に感動しました。これが、中判サイズなのか、と。

 

 ほどなく、私も中判カメラを探すようになりました。ただ、身分は学生。スウェーデンハッセルブラッドやローライは、名前を出すことすらおこがましい。初めに選んだ中判カメラは、ペンタックス6×7の初期型でした。

 このカメラは、一眼レフカメラをそのまま拡大したような形をしており、手軽に扱える気がしました。そして、そのプライスが1万円であったことも魅力でした。ファインダーやレンズを購入するとそれなりの金額になりましたが、それでも、うれしくてたまらなかったです。

 

 しかし、残念ながら非力で手が小さい私には、このカメラは余るものでした。手放し、私に本当に合う中判カメラを探し、辿り着いたのは、ゼンザブロニカS2でした。

(あぁ、このカメラの記事を書くのを忘れておりました)

 機構は全く異なるものですが、ハッセルブラッドのような形をしており、その堂々とした風格たるや、それまで有していた一眼レフカメラの比ではありません。ウエストレベルファインダーであれば、でっかいガラスの塊を含むペンタプリズムを搭載せず、重量は最低限となります。弱点、欠点もありますが、それはまた今度の機会にしましょう。

 

 中判カメラの圧倒的な存在感や、その仕上がりに非常に満足したものの、135判カメラを手放し縮小することはありませんでした。確かに、中判カメラで撮影するときの充実感は135判カメラとは異なりますが、機動力や扱いやすさは、格段に135判カメラのほうが優位です。

 結局、併用し、現在まで至っておりますが、いかんせんフィルムが高くなってしまったこと、小さな子供がおりカメラ以外の荷物を多く運ぶ必要があることから、最近は中判カメラを持ち出すことはよほどの記念写真を程度になってしまいました。

カメラの話(コラム第三回-5)カメラと、私。(人との出会いがカメラとの出会い)

 さて。

 

 ニコンしか所有したことがなかった私が、ペンタックスLXを手にしてしまいましたが、さらに、カメラの世界に引きずり込まれることが起きました。

 

 当時、インターネットサイトで、個人様が各メーカーを称賛する(ような)内容のホームページを多数立ち上げつつある時期でございました。その中の掲示板(情報交換をする場ですね)で、意気投合した方が、実はすぐ近所に在住する、同い年の、同じ大学に通う学生であるというミラクルが起こりました。

 彼は、私にとって初めての、カメラを趣味とする友人となりました。彼は、彼の両親の影響で、ミノルタのマニュアルフォーカスカメラを主に使っていました。

 

 私は、ミノルタのマニュアルフォーカスカメラは、オートフォーカス化したときに切り捨てられた、取るに足らないものであると思っておりました。その根本は、ある有名初心者向けカメラ雑誌に、当時まだ販売されていた「ミノルタX-700」が、「このカメラ、まだ販売されていたの?」とか、「このカメラの存在価値がわからない」などと、酷評されていたことにあります。

 

 初めて触ったミノルタX-700は、時代遅れな1/1000秒シャッターしか搭載できていないうえに、プラスチックの外装によるチープさ満載で、その酷評通りと感じました。しかし、ファインダーを覗くと、なんという世界でしょうか、明るくすっきりとした、一日中見ていられる、その中だけで完結できる世界といえば良いのでしょうか、当時、まだ、LX2000用ナチュラルブライトマット発売前ではありましたが、そのわずか前に感動した、LXのファインダーをはるかに凌駕する新しい世界がございました。

 その数日後、X-700を購入したことは言うまでもありません。不人気というおまけのおかげて、交換レンズもまた、一本1万円以下という、ニコンペンタックスでは考えられない価格で、小躍りしました。

 

 しばらく愛用しておりましたが、マニュアル露出で設定したシャッタースピードがファインダー内でわからないこと、プログラムモードでは「パリッ」とした心地よいシャッター音が、私が多用するマニュアルモード、絞り優先モードでは「クシュッ」というなんとも頼りないシャッター音になることから、X-500へと買い替えし、現在まで所有しております。

film-camera-challenge.hatenablog.com

 

 21世紀になった後に、ミノルタのマニュアルフォーカスは終焉を迎えます。終焉の際に、あわてて、新品のマニュアルフォーカスレンズ、NMD24mmF2.8、NMD50mmF3.5マクロ、NMD135mmF2.8を購入し、その後もコツコツと中古レンズを買い集め、一部使わない望遠レンズを整理したものの、超広角17mmF4から135mmF2.8まで、一そろえ有しており、いつでも、最高のファインダーを堪能できる準備をしております。

 

 また、彼は、キヤノンNewF-1もまた愛用しておりました。私は、1980年代前半プロ機3種のうち、ニコンF3ペンタックスLXは有するものの、キヤノンNewF-1までは手が回らず、いまだ所有に至っていないことを、常々うらやましく思っております。ただ、キヤノンMFレンズは標準レンズ2本しか有していないため、さらにレンズを増やしてしまうのも・・・とか、4LR44(4SR44)電池は高いから、とか、様々理由をつけて、何とか踏ん張っております。

 昨年、仕事で母校に立ち寄った際に彼と一杯呑みましたが、その時、彼はライカなるレンジファインダー機を下げておりました。中央部分でしかピントが合わせられず、接写や超広角、望遠にも対応できないレンジファインダーという制限に、私が寛容になれる日は来るとは思えず、彼がずいぶんと大人に見えました。

 

 ちなみに、カメラに興味を持っていない我が配偶者には、私が急逝した際には、カメラ一式を彼に渡すように、彼には我が配偶者からカメラ一式が届いた折には適当に売りさばき、半額を配偶者にバックするようにとお願いしております。 そうしないと、大量のカメラを残されても、始末に困りますからね。